小坂酒造場について

小坂家は、濃尾平野の北部にある地方の小都市、美濃市の中心街に位置し、江戸時代より酒造業を営んできた旧家である。

 建築時代は、大戸口の楣に打ち付けた多くの祈祷札の中に安永二年(1773)と記したものがあり、構造手法その他からも安永初年頃と推定され、当地に多く見られる卯建構え町家の代表的な慣例である。

 建築後、明治初期に土間の中仕切り、「おかって」の周辺、「みはりの間」の新設などの諸改造がなされた。次いで明治20年頃に屋根の中卯建の北側を撤去し、二階の「北の間」の新設や一階「みせざしき」の床を上げるなど、現在に近い形に大改造した。その後「みせ」のユカを低くし背面の庇を改造したりして現在に至った。

 小坂家住宅の魅力の第一は屋根にある。美濃市内に卯建造りの町家は20指にあまるが、小坂家の三本卯建をあげた美しい起り屋根は他に比べるものがない見事さである。

 もっとも前述のように中央卯建の北側は撤去され現在は表通りから見ると二本卯建になっている。卯建の軒飾りも東西で形を異にし、東側が古く西側は鬼瓦を加え、鳥ふすまも改造されたものだった。現在は古い形にそろえてある。いずれにしても江戸時代の製作で、破風瓦の幅が狭く懸魚瓦も小さくひきしまり簡素な美しさがある。

 この主屋の特色の一つは東側の奥行きを短くして中庭を設定した点である。この中庭のために「おく」の間が明るさとゆとりを生じている。三本卯建もこの構造上必然的に造られたものであろう。

 内部は「中の間」あたりに建具、調度、神棚など、よく古風を残し、中仕切の「のれん」や樽部屋にも趣がある。「中の間」を見下ろす位置に二階の「みはりの間」がある。これは明治初年の改造であるが、主人がここに居て奉公人たちの仕事ぶりを監視したところという。

 二階は、当初男女奉公人たちの部屋があったり薪部屋になっていたものらしいが、明治以降に一部は立派な部屋に改造されている。

 近年建物の不同沈下による傾斜が著しくなったので昭和57・58年にわたって半解体修理がなされた。工費約6500万円で江戸時代の姿を完全に近い形で再現することができた。貴重な美濃市の町並みの代表的民家として大切に保存していきたいものである。